見えない檻〜勇者の場合

                         月人


   
 私が持っている一番古い記憶は、勇者として旅立った父が、無惨な死体となって村に帰ってきた時の記憶である。
 泣き叫ぶ母の姿にすすり泣く村人の声、そして頭を食い散らかされた父の死体をみて、なぜ父がこうなったのかわからず呆然と見ることしかできなかった私に、村の長老が言った。
『お前の父はのお、心優しい男じゃった。周りの村が魔物に襲われているのを我慢ならず、全ての元凶である魔物の主を倒すため旅に出たんじゃがその途中で魔物に殺されてしもうたんじゃ。だからレオン、お主は父の意志を継ぎ、勇者となって必ず魔物の主を倒し、魔物から人を守るのじゃぞ』
 私はその長老の言葉に頷き、勇者になると震えた声で誓った。
 全ては魔物から人を守るために。
 
 ◆◆◆

 殺すなら殺してみなさい、と魔物の主は言った。
「貴方が私を殺したいと言うのならそれでいいわ。今すぐその剣を私に向けて私の胸を貫けばいい。でも、そうすることで貴方は知らなくてもいい事実を知らされることになるわよ?」
 その覚悟が貴方にあるかしら、と魔物の主は笑う。私はその顔を睨みつけて、剣を構える。
「知らなくてもいい事実? そんなもの、私はいくらでも見てきた。幼い頃にみた頭を食われた父の姿に、旅の途中で見た、目を潰され心臓を食われた男…… こんなこと以上に知らなくて言い事実があるとは思えないな」
 魔物の主はそういうと優雅に微笑んだ。
「それくらいのことが【知らなくてもいい事実】?
全然大したことないじゃない。世の中にはもっと悲惨なことはいっぱいあるわよ」
「ふざけるな!」
怒りに任せ、私は剣を一直線に魔物の主へと振り下ろした。しかし、それを見ていた魔物の主は小さく何かを呟いた。その瞬間魔物の主の周りに水の膜ができ、剣をはじいた。
「ッ!」
 魔物の主の予想していなかった抵抗には息を飲んだが、圧倒的に有利なのは自分の方だである。そう思い、私は一度手から離れかけた剣を強く握った。
 私は剣を再び魔物の主へと振り下ろす。水の膜に剣を弾かれて体のバランスは崩れたが、今度は手から剣は離さなかった。
「覚悟を決めろ魔物の主! お前の命はここで終わりだ!!」
 剣が、膜を破った。
「ッ!」
 剣が魔物の主の体へと振り下ろされ、右腕が切りおとされた。
「もうお前の身を守るものは何もないぞ。せいぜい後悔するがよい、お前が奪った何万もの命の重さを感じながら!」
 魔物の主の胸を剣が貫いた。奴はその刺された胸を見て、私に小さく笑った。
「さすが、ね。でも、貴方はまだまだだったわ」
 魔物の主は最後にそういうと、生き絶えた。
「……減らず口を」
 私はそう言うと、構えていた剣をゆっくりとおろした。
 魔物の主を倒せた喜びと、ほんの少しの迷いを憶えながら。

◆◆◆
 村に帰った私を一番に出迎えたのは、一人で家を守っていた母上だった。
「レオン……よく無事で!!」
「ただいま帰りました、母上」
 私がそういうと、母上は早足で私の元へ近づき、抱きしめた。
「おお……心配していたのですよ。でも貴方ならきっと……」
「はい、母上。魔物たちはもうでませぬ。私が退治しましたゆえ」
 私のその言葉に、周りにいた大人が一斉に驚いたように声を上げた。
「レオン、本当か! あの魔物を一人で倒したというのか!?」
「すげえ! さすがレオン!」
「レオン、お前逃げたんじゃないのか? って、レオンに限ってそれはないか!」
 その一つ一つの言葉に、私は成すべき事をなすことができたことを実感した。
「まったく、みんなでよってレオンを取り囲みよってから。身動きがとれんくなっておろう?」
「長老様!」
 そんな大人たちを押しのけ、中に入ってきた長老はニコリと笑って私を見上げた。
「ようやったぞレオン! 我らの長年の悲願をついにやりとげたわ! さあ、こんなところにおらずにさっさと中にはいらんか。今宵は宴じゃ。皆、お前の話を聞きたがっておる」
「そんな長老様。私めの話など何の話の種にも……」
「そう遠慮するな、むしろお主が来てくれぬと困るんじゃ。お主は皆の英雄なのだから」
「そんな……私など英雄ではございませぬ。これは全て皆様のご尽力があってのこと。ですから……」
「だったらなおさらじゃ。皆の力で勝ったのに皆に会わぬとはどういう了見。ずっと離れていた家族とつのる話はあるじゃろうが、村の者の気持ちを考えておくれ」
 そこまで言われると断るわけにはいかない。しかたなく私は「了承しました」と頭を下げた。
 
◆◆◆
  村の者たちが開いた祝宴会から帰り、久しぶりに自室に戻った私は自分の寝床に入ってゆっくりと今までのことを思い出していた。
 村の者たちに旅の話をすることで思い出した数々の思い出、それは自分の無力さを痛感させた。自分が、もっと早く魔王を倒すことができれば救えていた命が頭にこびりついて離れない。
 それでも今まではここまで苦しむことはなかった。それは村を魔物から守るために『魔物を倒す』という目的があったからだ。けれども、目的がなくなってしまったレオンには、もうその思いから逃れる術を持たなかった。
(どうすれば、いい)
 私はその思いからは逃げるように思考を止め、眠りについた。


◆◆◆
 
 その日、変な夢を見た。
 それは不気味な夢だった。
『レオン』
 誰かが私の名を呼んでいた。
「誰だ?」
『レオン、そこにいるのね?』
 一瞬、自分の耳を疑った。先ほどは小さくてわからなかったがこの声は、
「魔物! なぜ貴様がそこにいる!!」
 私がそう叫ぶとゆらり、と目の前の景色が揺れて、魔物の主が現れた。魔物の主は私をみて、小さく笑う。
『ああよかった。貴方がきちんとここにたどり着けるかどうかわからなかったから。でも、どうやらうまくいったみたいね』
 魔物の主はわけのわからないことをいって、私に近づいた。私は魔物の主を倒そうと腰に手をかけたが、そこには剣がなく、その上足が動かなかった。
「クッ貴様なにを!」
『心配しないで。貴方がきちんと私の話を聞いてくれるように足を動かなくさせただけだから。危害を加えるつもりはないわ』
 魔物の主はそういうと私の目の前に立って、今度は哀しそうな顔をして私の顔に手を伸ばした。その手は死んだもののはずなのになぜか暖かった。
「……話とは何だ」
そう睨みつけて訪ねると、魔物の主はゆっくりと口を開いた。
『貴方に伝えておきたい事があるの』
 魔物の主は続ける。
『でも、詳しい事は話せない。話してしまえば私はまた囚われるから。私はもう二度とあんな思いはしたくない。だから、簡潔に言うわね』
 魔物の主は先ほどまで触れていた手を下ろして、泣き出しそうな笑みを向けていった。
『ありがとう、そして、ごめんなさい』
「?」
 ありがとう、とはどういう意味なのか。私がそう聞こうと口を開いた瞬間、意識は覚醒した。

◆◆◆

「……オン、レオン!!」 
「!」
 大きな声で名前を呼ばれ、私は目を覚ました。変な夢を見てしまったせいか、頭が重い。
「……なんですか母上。そのような大声をだされて…………」
「そんな悠長にしている暇はありません! 長老様がお呼びだから急いで支度をなさい!」
 母上のその言葉に私は急いで支度を始めた。しかし、一体何の用で長老は私を呼んだのだろうか。私はその疑問を母上に尋ねると、母上は「行けば分かります」といい、深刻そうな顔をして黙り込んだ。
 そんな母上の姿に、私は一つの嫌な結論を思いついた。
(まさか魔物が?)
 ありえない、と思った。魔物の主は確かに倒したのだ。私はその死の瞬間を見たし、手ごたえも感じていた。
 しかし、その思いを打ち消したのは昨日みた夢だ。あれは夢だ、と言ってしまえばそれまでなのだが、私にはあの出来事を夢でしかないということのはできなかった。そういうにはあまりにも現実味を帯びた夢なのだ。
(何をたくらんでいる、魔物の主よ)
 私は最後にみた、泣きそうな顔をした魔物の主を思い浮かべる。一体なにを考えてあのような顔になったのか。
 長老の屋敷につくと、すでに長老と村の重役たちが到着していたらしく、各自重苦しそうな顔を浮かべて、後から入ってきた私たちを注視した。
「レオン、よくきたのお」
「は、なんの御用でしょう、長老様」
 私は長老の言葉に頭を下げて、呼ばれた理由を尋ねた。
「レオン、どうやら魔物の主が復活したらしいのじゃ」
「!?」
 私はその言葉に驚いたが、しかしそれと同時に納得するような思いをもった。
「魔物の主は復活し、その結果魔物たちが暴れ始め、周りの村を襲っておる。この村の若者も二人やられてしもうた」
 やはり、あの夢はそのことを暗示していたのか。私はギリッと歯軋りをした。
「長老様! もう一度このレオンが魔物の主を退治してまいります!」
「レオン!」
 母上が真っ青な顔をして私の顔をみたが、私はその顔を見なかった。見る必要もないと思った。魔物の主を倒すということは私にとて
「あの魔物の主を完全に仕留められなかったのはこの私の罪でございます。それを償うのは当然のこと。どうぞ、この私にご命令を!」
「うむ、レオン。お前ならそう言ってくれると信じていたぞ」
 長老はそういうと一振りの剣を差し出した。
「長老様……これは?」
 剣であるならば旅立ちの前に貰った剣がある。それなのに新たに剣を貰うとはどういうことか。
 その疑問に、長老は答えた。
「この剣はお前が今もっている剣よりも封魔の力が強い。その分使い手を選ぶのでお前の旅立ちの日には渡さなかったが…… 魔物の主を一度倒したお前じゃ、この剣も使えるであろう」
「お心遣い、ありがとうございます」
 そう頭を下げた私を母だけが哀しそうに見ていた。

◆◆◆

 その後、急いで魔物の主を退治するために支度を始めた。ここで時間を潰していればまた何人もの人々が犠牲になる。それは必ず防がなければならない。
「レオン……」 
 そんな中、母が声をかけた。
「レオン、何故貴方ばかりがこんなことをしないといけないのです」
「母上それは……」
「今、旅から帰ってきたばかりではありませんか。それなのに皆貴方にばかり全てを押し付けるなんて……」
「違います母上、私は押しつけられてなど……」
「レオン……母からのお願いです。旅に行くフリをして逃げ」
「母上!」
 あまりの言葉に思わず声を上げた。
「なんと云うお言葉です! 母上は他の人が犠牲になっても構わないと…」
「構いません!」
 私の言葉を母は遮って叫んだ。
「この村の人間はみんな私たち家族に全てを押しつけているのです! 魔物の主を退治にさえ行かなかったらあの人は死なないですんだのに、親子三人で幸せに暮らすことができたのに、『お前の力が必要なんだ』と適当なことをいってあの人を勇者にして殺したのです! そして今度は貴方を殺そうとしているのですよ…… そんな奴らのために貴方が行く必要なんてありません!」
 母はその言葉に、私は思わず支度していた手を止めた。だが母の願いを叶えることはできない。魔物を倒すことは私の役目だからだ。
「母上心配せずとも、この私がまた魔物の主を倒してまいります。ですから、心配せずにお待ちください。必ずここへ生きて帰ってくるとお約束いたします」
「レオン、支度はできたか?」
 部屋の外から長老の部下の声がする。出立の準備が整ったらしい。
「それでは母上、行ってまいります」
「レオン!!」
 母の悲鳴のような声が聞こえたが、私はその声に振り向かなかった。

◆◆◆
 
「ずいぶん遅かったのお、レオン」 
「もうしわけありません。長老……」
 旅立つ前に寄れ、といわれた長老の家に行くと、待ちくたびれた長老が家の前に出ていた。
「まあ、お前も母との挨拶やらがあったんじゃろう。時間も勿体無いしのぉ」
 長老はそう言うと一枚の紙を取り出した。
「レオン、お前がくるまでに集めた情報によると、魔物の主はお前が倒した城にまだおるらしい。じゃが、いつ出て行くかわからん。居場所がわからなくなればまた被害が広がる、急いでいってくれ。足は用意しよう」
 長老の合図とともに、一人の男が一頭の馬を引き連れてきた。
「この馬はお前が旅に行っている間に育てた、村一番の名馬じゃ。これを使っていけば城まで一週間もかからんじゃろう。魔物もまだ、そんなに多くはおらんからな」
「ありがとうございます」
 私は深深と頭を下げるとその馬に触れた。確かに丈夫そうな馬である。
「それでは、行ってまいります」
 そういうと私はその馬に乗り、長老に挨拶をした。長老はそんな私に笑いかけ、行ってこい、と激励した。

◆◆◆

 長老から頂いた馬に乗りながら私は魔物の主の城へと急いだ。
「魔物の主め……! 今度こそ決着をつけてやる!」
 私は強く手綱を握り馬を走らせ、馬はそれに応えるように力強く走った。
 そう、馬は走っているだけのはず。
『レオン』
「!?」
 どこからともなく、自分の名を呼ぶ声が聞こえた。しかも、その声は聞き覚えのある声。
 この声は。
「魔物の主!」
 馬を止めて、辺りを見渡すが、周りにはどこにも人影が見当たらない。
『レオン』
 馬が振り向いた。そして私に向かってニッコリと笑いかけた。
「魔物の主か!?」
 本来、馬の顔であるはずの場所に人の、いや魔物の主の顔があった。その顔がにこやかに笑いかけている。
「化け物!」
 長老に貰った剣に手をかけた。しかその首を切り落とす前に女の顔が口を開いた
『おいで』
「!」
 次の瞬間、私は意識を失っていた。

◆◆◆

 目を覚ましたときに視界に入ってきた景色は、自分が目指していた場所だった。
「目が、さめたのね」
「魔物の主……」
 私の言葉に、魔物の主はニッコリと微笑んだ。
「よかった、話し掛けても全然目を覚まさないから死んでしまったのかと思ったわ」
 魔物の主はそう言うと私に近づく、その姿はあまりにも無防備だった。
(愚か者め!)
 私は直ぐさま立ち上がり、腰にかけていた剣に手を伸ばして、魔物の主へとめがけて剣を振り下ろした。
 しかし、
「!?」
「……酷いわ、不意打ちだなんて」
 その剣は魔物の主に届く前にバラバラにくだけて地に落ちた。
「なぜ、どうして……」
 呆然とその剣を見る私に、魔物の主は哀れみの視線を向けた。
「……まだ、気づかないの?」
「なにが……」
 魔物の主の手が私に向かってのび、私の首を締め上げた。
「貴様ッ! なにを……」
「なんでわからないのよ! 貴方は利用されてるのに!!」
 【利用】という言葉に私は目を見開いた。なにを言っているのだ、こいつは。
「いつ誰に私が利用されたというんだ!」
「ッツ! 酷すぎる!」
 たたきつけるような女の言葉に驚いて、思わず魔物の主の顔をみた。
「逃げて! お願い!」
 魔物の主はレオンに言う。
「今ならまだ間に合う。ここから早く出て、別の国に行きなさい! ここに貴方がいたら今度は貴方がとらわれる! だから早……く」
「? どうし!」
 魔物の主の体から血が流れていた。その怪我は後ろから刺されたもので、私は驚いて魔物の主の後ろを見た。
 そこには、
「魔物たち……?」
 そこには魔物の主の部下であるはずである魔物たちが立っていた。魔物たちは人が持つような剣を持って微笑む。
「お前達! 自分の主をなッ……」
 そこで私は意識を失った。

◆◆◆

 何年の月日が流れたか、今となってはもうわからない。
 ただ、自分は魔王という肩書きを背負わされ、ここにきた勇者たちを殺していっただけだ。
 死んでいった勇者たちがもう何人か、十を超えた時点で数えるのを止めてしまったため覚えていない。
 薄情といえばそうかもしれないが、そうしないと私は生きていける自信がなかった。
「主よ。また、人間の勇者が現れました」
「……ああ」
 私は、自分を魔物の主にした魔物の声を聞いて、勇者を迎え撃つために魔剣に手を伸ばした。
 
◆◆◆
 
 魔物の主という存在は元々は純粋な魔王だった。
 魔王は心優しい者だったが、生きるためには人間の生き血が必要だった。そのため、人間に疎まれ、一人の勇者によって討たれてしまった。
 それに嘆き悲しんだ魔王の部下達は、その勇者に呪いをかけた。自分の主をいつも蝕んでいた【生き血の欲する】という呪いを。
 生き血が必要となった勇者は村に帰った後、人々を襲うようになった。人々はその勇者を【魔物の主】と呼ぶようになった。
 勇者は嘆いた。どうしていいかわからず、ただ途方にくれた。
 そんな勇者に呪いをかけた魔物たちは自分たちの主とした。人間を一番に思っていた者に人を殺させる。そんな残酷な復讐をするために。
 勇者、いや、もはや魔物の主に成り果てた人間は苦しんだ。自殺することもできない身体にされ、どうすれば自分がこの苦しみから解放されるか考えた。考えに考えてある一つの考えを思いついた。
 
「私が、勇者に殺されればいい」

 魔王の主はそれから他の魔物たちを倒して自分の所までくるほどの力のある勇者を待った。何年も何年も待ちつづけ、ついに自分の元に現れた勇者に、自分を殺させた。
 そして、勇者の呪いはとけた。勇者は死ぬ事ができた。
 だが、その魔物の主を倒した勇者は−−その代償として同じ呪いをかけられた。
 こうして、何度も何度も同じ事が繰り返された。魔物の主を殺した勇者は魔物の主になり、そしてまた次の勇者に殺される。
 そんな呪われた儀式を。

◆◆◆

「……よく、ここまで来たな」
 もう何度言ったかわからない台詞を目の前の勇者に投げかけた。何の言葉も返さない勇者を無視して、私は魔剣に手をかける。
 人を殺す事はどうしても慣れなかった。けれども、ここで自分が勇者を殺さなければ、この苦しみ他の勇者に与えることになる。
 それだけは許されないことだ。
「どうした。私を殺しに来たのだろう。早く剣を抜け」
 目の前の勇者はなぜか剣を抜こうとしない。他の勇者であれば、すぐに剣を抜いて戦おうとする。だが、この勇者はなぜかそうしようとしない。
「貴様! 早く剣を抜かないか!」
 人を殺すことに時間も何も関係ないが、できることなら早くしたい。そんな思いが入り混じってか、ついつい口調が荒くなる。
「なるほど。やはりそういうわけなのですか」
 やっと言葉を発したかと思うと、勇者は話の流れに沿っていないことを言い出した。不審がる私に、勇者はこう言い放った。
「お会いできて光栄です。勇者、レオン・カーティルさん」
 持っていた剣が地に落ちた。
「貴方のことはそれなりに調べてきていますからご心配なく。どうして魔物の主になったのかとか、そういう話はもう全て知っています」
 勇者はそういうと私に近づき、微笑んだ。
「ですから、私は貴方を殺そうなんてこれっぽっちも思っておりません、が……貴方をこのまま苦痛の中に置き去りにするのはあまりにも耐えがたい」
 何を言っているのかわからない。
「私は、貴方を救いに来たのです」
 何を考えているのかわからない。
「私を、救う……だと? そんな事ができるものか!」
「やってみないと、わかりませんよ。それに私には不思議な力がありますし」
 勇者は私の手を握る。
「ですから、今から私の質問に答えていただけませんか。そうすれば、貴方を救う方法がはっきりするでしょう」
 馬鹿げた話だ。救う方法などあるはずがない。そう、頭ではわかっていたのに、
「わ、わかった……」
 いつのまにか私は頷いていた。

◆◆◆

「なるほど…… では、力自体は他の魔物とはけた違いなんですね。貴方は」
「ああ、仮にも私は【魔物の主】だから」
 勇者、ルアンと名乗った男は執拗に魔物の主の力について聞いてきた。この力が一体なにをもたらすというのかわからないが、自分でも不思議に思うぐらい、素直に答えていた。
「では、その力を使って魔物を殲滅すればよいのでは?」
「そういうわけにはいかない。 ……私の村が人質にとられている」
 自分の勇者じみた発言に自嘲した。自分の村を守るために自分の村からやって来た勇者を殺しているというのに、そんなことをいうのは酷く滑稽に思えた。
「ですが、貴方はここから身動きがとれないのでしょう?ご自分の村が平和かなんてわからないじゃないですか」
「確かにわからない、が、ここを訪れた勇者たちに話を聞くと、みんな私の村からの勇者だ。そいつらから話を聞けば、自分の村が平和かぐらいわかるさ」
「なるほど、それはそれは……」
 ルアンはそう呟くと、何かを考え込むように黙り込んだ。
「わざわざ、ああ、うん。そうですよね。 ……レオンさん」
「あ、ああ」
 何分間か黙り込んでいたルアンが急に口を開いた。そして私をみて、こう言い放った。
「私と入れ替わりませんか?」
「は……あ……?」
 何を言い出すのだ、この男は。
「私は自分の魂と他者の魂を入れ替えさせる事ができるんです」
「魂の……入れ替え?」
「はい、要するに私と貴方が入れ替わるわけです。私は貴方、即ち魔物の主になって、貴方は私、即ち勇者になるわけです」
 何とも馬鹿げた話だ。そんな事ができるはずがない。そんな言葉は脳裏に浮かんだが、私はどうしてか、その言葉を言うことができずにただ黙り込んでいた。
 ルアンは言う。
「レオンさん。貴方はいい加減解放されてもいいんじゃないんですか? 今までずっと人間のために、村のために、人である勇者を殺しつづけたんでしょう? もう、これ以上その苦しみを背負わなくてもいいじゃないですか」
 ルアンの言葉は、酷く優しく、自分にとって都合のいい言葉だった。今にも頷いてしまいたかった。が、どうしても信用ができない。
「なぜだ」
「はい?」
「どうして、わざわざ自分が不幸になるようなことを、言うんだ」
 今の話を聞いていれば、この事実がどれほど辛い事かわかるはずだ。なのに、この男はそれを自分から受け入れようというのだ。 ……それが、はわからない。
 ルアンはその言葉に、少しうつむいた。そして、哀しそうな声で小さく呟いた。
「……酷いじゃないですか」
「え?」
「レオンさんに全てを押し付けて、私たちだけが平和だなんて、そんなこと許されるはずがないんです!!」
 ルアンは立ち上がり、息を切らせながら叫ぶ。
「レオンさんの優しさに皆がつけ込んで、こんなことってないです! 平和は皆が作り上げなくてはならないのに、それを一人だけを犠牲にして誰も省みたりしない! そんなこと、あってはなりません」
「ルアン……」
「レオンさん、貴方の苦しみは貴方の村の者…… いえ、生きている人間全てが背負うべきものです。それを誰も感謝せず。貴方だけに背負わすなんて。あってはなりません!」
 ルアンは、優しい。だからこそ、私は頷くわけにはいかない。
「……だが、これをお前に背負わすわけには……」
「レオンさん。いいんです。背負わせてください」
 ルアンは笑う。優しい、母を思い出す笑みで。
「例え貴方がこれを背負うといっても私は無理やり魂を入れ替えさせますよ! 貴方は自由になるべきだ!」
「だが……」
「だがもなにもないです! レオンさん、素直に聞かせてください。死ぬまでここで暮らすなんて、嫌でしょう!」
「!」
 気がついたら涙が出ていた。私の思いを全てこの男は知っていた。
「血に関しての呪いも、魔物も、私が何とかします。だからレオンさん、貴方は自由になってくださいね」
「……す……まない……」
 気がつけば、私は同意する言葉を口にしていた。そんな言葉を口にした私をみて、ルアンはニッコリと微笑んだ。
「幸せになってくださいね、レオンさん」
 そうルアンは言うと私の手を握った。そして、視界が黒に歪み、物凄い衝撃とともに私は意識を失った。

◆◆◆
 
「おや、目を覚ましましたかレオンさん」
「う……ん……?」
 まだ痛む頭を無理やり覚醒させて、目を開くと自分の顔がニッコリと笑っていた。それをみて、ぼんやりと本当に入れ替わったのだと理解する。
(……あんな顔、私にもできたのか)
 そんなどうでもいいことを思いながら、私はルアンに体を支えられてゆっくりと周りを把握していった。
「大丈夫ですか。レオンさん。体を入れ替えた後ですからあまり動けないかもしれません」
「いや大丈夫だ……」
 意識がぼんやりとしているが、具合は悪くはない。
「……?」
 やっと意識がハッキリして、最初に感じたのは違和感だった。ここは魔物たちの巣窟であるから、私が一人でいるときも、なんらかの気配が感じられたのだが、今では何の気配も感じない。
「どうかしましたか? レオンさん。まだ体が辛いですか?」
「いや、そういうわけではないが……なんの気配もないのでな。少し不思議に思っただけだ」
 そう、私が言うと、ルアンは何か含みのある笑みを浮かべた。そして急に足をこの部屋の出口へと進める。
「ど、どこに行くんだ?」
「レオンさんも、一緒にきてください」
 ルアンはそう笑って足早に部屋を出て行く、私はそれに遅れまいと急いでその後を追った。
 新しい体は思った以上に使い勝手がよく、昔の自分の体と同じぐらいの速度で歩けたため、すぐにルアンに追いつくことができた。
「ルアン、どこに……」
「見せたいものがあるのです」
 ルアンはそう言うと、外へと繋がる扉を開け、レオンに見るように促した。促されたとおりその景色を見ると、言葉を失った。
「な、ん、これ…は……なんだこれは!!」
 そこは、レオンが今まで見てきた景色とはまったく違っていた。
 魔物と人が、お互いに争いを始め、お互いにお互いを殺していたのだ。
「なぜだ……やめろ!」
 人と魔物の弱いモノが次々と殺されていく。これはもはやどちらかが蹂躙したという話ではない。−戦争だ。
「どうして、なんでこんな……!」
「貴方が望んだ事でしょう?」
 隣にいたルアンが先ほどと同じ笑みを向けて、ニッコリと微笑む。
「なに…!」
「人も魔物も憎んだ貴方が、この光景を望んでいたのでしょう?」
「そんなこと!」
「望んでない? 嘘ですね」
 ルアンは先ほどと同じ表情を崩さない。なのに、いやそのせいでレオンは今まで味わった事のない恐怖を味わっていた。
 だれだ、コイツハ
「貴方は人として魔物を倒そうと思っていた。人々を魔物から守るため、でもそれは貴方の本心からの願いじゃない。幼少期に貴方の父が殺されたことで刷り込まれていた願いにすぎなかったのでしょう?」
「だからこそ、貴方は人が自分を捨てて、全ての不幸を自分に与えて幸せになった人間のことが許せなかった。そしてそれと同じくらい、人間を恐怖で支配し、魔物の主になる人間を差し出させていた魔物たちのことも憎んでいた」
「そして、貴方はこう願ったのではないですか? 全て、消え去ってしまえ。と」
「違う!」
 気がつけば、私は叫んでいた。だが、その後の言葉は続かない。これは一体どういうことか。
「違う違う違う……!」
「違わないですよ」
 ルアンは微笑む。
「もし違うのであれば、どうしてあの時私と入れ替わったんですか? 貴方自身の願いが人を守ることであれば、そんなことをしないだろうに」
「あ、あれはお前が言い出したことで!」
「ええ、そうですよ。体を手に入れるためにはそれが一番良い方法だとおもったからです」
 その言葉を聞いて、私は目の前が真っ赤になった。この男は、最初から。
「私を騙したのか!!」
「騙した、とは心外ですね。これは同意の上でしょう」
「こんなことになるのなら、入れ代わりなんてしなかった!」
 その私の言葉にルアンは一瞬驚いたように目を見開き、そして嘲るように声を出して笑った。
「な、何がおかしい!!」
「本当に、気づかなかったっていうんですか? 貴方ほどの方が?」
 ルアンは続ける。
「貴方は馬鹿じゃない、聡明な方だ。そんな貴方がどうしてこのような結末を予測しないでしょうか? まあここまで酷い結末だとは思っていなくても、この魔王の巨大な力が何らかの悪影響を及ぼすと、本当に考えられなかったと?」
「それは……」
「もう嘘をつくのは止めましょうよ」
 認めると楽になりますよ。とルアンは笑った。その言葉が、強く私の胸の中を響いた。
「私、私は……」
「まあ、それでも貴方が違うと言うなら構いません」
 ルアンはニッコリと笑って、腰に刺していた剣を抜いた。
「ここで、殺して差し上げましょう」
 ルアンは私に向って剣を振り下ろした。
次の瞬間カキン、と剣と剣がぶつかりあった。
「……」
「!!」
 私は自分の腰に刺さっていた方の剣を抜いて、ルアンの剣を防いでいた。そしてその剣をルアンに向けたままでいる私をみて、ルアンがクスクスと笑う。
「なに? 僕を殺すつもり?」
「…………」
「無謀だから止めたほうがいいよ。君には僕を殺せないし、今の僕には魔王の力もあるんだ、君じゃあ……」
「……くい」
 ボソリ、と呟いた私の言葉に、ルアンの瞼がピクリ、と動いた。
「今、なんて言ったの?」
「憎い! 人も魔物もみんな!!」
 涙が、あふれていた。
「何が父の意志を継げだ! 最初から私を生贄にするためだけに私を勇者にしたくせに!!母の言ったとおりだ、あいつらは父も私も騙して、災厄を全て押しつけて自分たちは助かろうとしたんだ!」
「……」
「そんな私を魔物たちはみんな笑った! 私と同じ被害者の勇者の首を嬉々としてみせてきた! 何も知らない子供を私の目の前で殺した!!」
「……」
「利用するだけ利用してあいつらは私を切り捨てた!!」
 不思議なことに、言ってしまった、認めてしまった、と思う後悔の気持ちなど何一つ浮かばなかった。
 −ただ、心の中に溜めていたものが全て消えて、楽になったという思いだけだった。
「う、ふ……」
「……」
 急にルアンが私の頭をなでた。
「!!」
「よおく認めたねえ。やっぱり君は面白い人間だ」
 ルアンは先ほどの嘲笑とは違う、子供に接する優しい親の笑みを私に向けた。
「『僕』と一緒においで。ちょうど色々と世話をしてくれる子が欲しかったところだから」
 ルアンはそういうと私の手を掴んでを立ち上がらせた。そして、先ほどあけた扉の外へと連れ出した。
「そうだ、僕と一緒に君の復讐をしない? 何千年という長い年月、君を裏切った人間、苦しめた魔物、そして他の愚かな生き物たちの苦しむ姿をみて楽しもうじゃないか。どう?」
 私はその言葉に一瞬その場に立ちつくした。
 しかし、それは一瞬だけだった。

◆◆◆

「……レオン、レオンってば!!」
「ルアン様!?」
 主が自分を呼ぶ声が聞こえて、眠っていた私の意識は急に覚醒した。
「もう一時間たったよ。そろそろ車うごかそーよ」
「あ、申し訳ありません……」
 主の言葉で、私は一時間だけというお約束で睡眠をとっていたことを思い出した。早く主の行きたいところにいかねばならないところをお許し頂いた休みなのに、私はなんと無礼なことをしてしまったのだろうか。
「すぐ、車を発進いたします」
 慌しくアクセルを踏もうとした私に、主がいきなり首をしめてきた。
「ちょッ!! ル、ルアン様!!何を…………」
「ねーね、なんの夢見てたの?」
 教えて教えて、と笑う主に、私はとりあえず首しめを止めていただいて答えた。
「昔、ルアン様にはじめてお会いしていた時のことを思い出していたんです」
「あ、あの頃かぁ、もうだいぶ前の話だよね」
「そうですね。もう数百年も前のことですから」
「ほんっと、懐かしいなあ」
 主はそう言う私の頭を幼子にするように撫でた。そして、ニッコリと微笑むと私に尋ねた。
「ねえねえレオン」
「はい?」
「レオンは今でも人間や魔物が憎い?」
 私は小さく笑っていった。
「ええ」
 私のその言葉にルアン様は嬉しそうに笑っていった。
「じゃあこれからも一緒にいようね」

◆◆◆

 私は今嘘をついた。本当はもう人間のことも魔物のことも憎くない。いや憎くないというよりはどうでも良くなった。人や魔物が苦しもうが何をしようが、自分には関係ないように思うようになったのだ。
 それでも嘘をついたのは、あの人のそばにいる理由が欲しかったからで、今も憎んでいるふりをして、他人を傷つけてでも私があの人のそばにいる理由を得ている。
 そんな私は昔の私が忌み嫌った者達かもしれない。けれども正直者になることはこれからもないだろう。
 誰かを傷つけてでも、得たいものをもってしまったから。
(これからも嘘をつきつづけてやる)
 その嘘により自分が身を滅ぼすその日まで。

 

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